log.02 Air Force One
簡単な引継式を経て、ようやく私は自由の身になった。
「大統領、おつかれさまでした!」
「おつかれさまでした」
私たち前閣僚と、彼ら新閣僚。
向かい合って「ログ」を渡し、私たちが前任者から引き継いだノウハウや政策、着手中の事業などを次代に引き継ぐ。
正面にいるのは兄の二番目の息子。
二日の任期を終えれば、次は私の三つ子の息子の誰かが引き継ぐことになるだろう。
我々以外に政治を学んできたひとはいないから、これは至極当然のことなのだ。
「大統領、これからどういたします」
「そうだね……」
生まれてこのかた、常に共にあった国務長官。
私の自慢の「人生の友人」。
「国防大臣とも話していたんですが。もしご予定がなければ、これから三人。
余生を、我が家ででも死ぬまで語り合って過ごしませんか」
それも悪くない。
だが……。
「いや、私は遠慮するよ」
「なにかご予定でも?」
国務長官の手を取り、堅く握りしめる。
「いままでご苦労様でした。
もう、私につきあうことはないんです」
「なにを水くさい……人生の友人に向かって」
「国務長官は本当のところ、国防大臣と人生の友人でいたかった。
そうでしょう」
「なにを突然……」
「別に責めているわけではないよ。
ただ、我らの一生、本心を偽って過ごすには短すぎる。
私の自慢の『人生の友人』ですから、最後の日くらいは、不本意のないように過ごして欲しい」
「……ですが、大統領は」
「わたしはもう充分。押し問答こそ時間の無駄だよ」
「……ありがとう、ございます」
「泣くな、みっともない。
では、またな」
「ええ。では、死んでまた、月でお会いしましょう」
「月?」
「ええ、ご存じありませんか?
我々は、死ぬとみな、月に行くという話を」
「知らないな。月というのはあれだろう、空にある」
「うちの母がそう、いつも申しておりました。
だから、死んでもまた会えるのだと」
「……もう何日もの付き合いになるが、
こんな他愛のない話をしたのも、一歳のころ以来だな」
「そうですね」
私たちは、笑いながら官邸を出て、その場で別れた。
さて、これからどうしたものか。
長距離列車に飛び乗り、窓の外を眺める。
息子たちの顔も見たくないわけではなかったが、
今までずっとひとのために働いてきたのだ、
最後の日くらいは自分のために使ってもいいだろう。
(なかなか、いい列車だ)
生産の効率化。
同じ職業のひとをできるだけ近くに集め、
今まで親からしか受け継げなかった「ログ」を
同業者と共有することで、常に最新技術が行き渡るようにする。
そのため、まずひとを移動させる交通網を準備すること。
用意が整えば、この交通網はそのまま、各地でできたものを
町へ運ぶ流通ルートにもなる。
彼が任期で行った事業は、交通網の拡大。ただそれだけ。
その後は、次代が引き継いでくれる。
この列車が大勢のひとを運び、作物を運ぶ。
そうなる未来が、明日のことのように目に浮かぶ。
だから、安心して死んでいけるというものだ。
しばらくして、元大統領はまだ新しくできたばかりの駅で降りた。
駅ばかり新しく、周りは山だらけ。
だが、先々代の計画によれば、ここは山の斜面を利用した果樹園地帯となるはずだ。
近い将来この駅は、果物の実りであふれる、にぎやかな駅になるだろう。
甘い香りすら漂ってくるような感覚にとらわれ、口の中は唾液で溢れた。
愉快な気分で駅を出ると、彼は山へと向かった。
「これは素晴らしい……」
山の中腹、獣道を少し逸れたところで見つけた洞窟。
薄暗く、湿っていて、今まで彼が嗅いだことのないような、じっとりとした臭い。
だが、その周りを取り囲む木々と木漏れ日。
加えてびっしりと羊歯植物に包まれた洞窟は、元大統領の心を打った。
「私の最期にふさわしい」
死ぬときは、一人で死にたかった。
周囲に惜しまれて……というのも、時間の無駄だとどなりつけてしまいそうだったし、
かといって全く相手にされず、ただ消えていくのもつらい。
今まで一生、一人になれる時間などほぼ取れず、
常に勉強、常に仕事。
死ぬときくらい、一人になってもよかろう、
自分の意志で一人で死のう、と思うのだ。
洞窟に入る。
外から入る光だけを頼りに、壁に手をついて、おそるおそる。
だが、少し行ったところの曲がり角を先に行くと、うっすらと明かりのようなものが見えた。
(先客か、誰か住んでいるのか?)
光を目指して、足下に注意しながらゆっくりと進んでゆく。
そこにあったものは、一冊の「ログ」だった。
持ち主の姿は見えず、今にもオイルが尽きて消えそうなランプに照らされて。
所有者のいない「ログ」。
ひとの生きてきた足跡を消さないため、見つけたものが保護すべし。
元大統領も、身に付いた習慣で「ログ」を手に取り、開いた。
「これは……っ!」
それには、恐るべきことが書かれていた。
先々代の、更に前の代。
この山で、鉱山の開発計画があった。
だが事前調査の結果、産出量も期待できないということ、
またその次の代には方針転換が計られる予定であったこともあり、
計画自体は中断されていた。
だがここに、中止の連絡を受け取れなかったひとびとがいた。
少しずつ、何代もかけて掘り進め、調査し、ついに鉱脈を発見した。
だが、それと同時に、恐ろしいものも掘り起こしてしまったのだった。
元大統領はランプを手に取り、洞窟の外へと向かった。
このランプは一体、何代に渡ってこの坑道を照らしてきたのだろう。
残り少ないオイルが、棄てられた坑道の歴史を物語る。
だが、もう大丈夫だ。
私が気づいた。
「ログ」を握りしめ、外へと急ぐ。
大丈夫、駅までの道はわかる。
そこまでいければ、誰かにこの「ログ」を渡し、官邸まで届けてもらえればいい。
それで、この件はなんとかなるはずだ。
洞窟から飛び出した。
途端口に広がる、泥の味。
(な、なんだ……? なぜ真っ暗なんだ……?)
ガランガラン、とランプが斜面を転がってゆく音がする。
両足の感覚が、ない。
立ち上がろうにも両の腕にはほとんど力が入らず、腰から下は言うことを聞かない。
(そんな、馬鹿な……)
このままでは消えてしまう。
自分だけが消えるならまだしも、
鉱山に携わったひとの思い、歴史までもが。
何代にもわたって取り組んだ坑道開発、
その営為が、誰にも気づかれずに消えてなくなってしまう。
(だが、どうすれば……)
このままではひとたび雨が降れば、風が吹けば。
この「ログ」は人の手の届かぬ山奥へ、谷底へ、消えていってしまうことだろう。
なんとしても、それだけは。
最後の力を振り絞り、彼は「ログ」の最後の1ページを破り取った。
航空力学も工作技術も学んだことのない元大統領は、見よう見まねで紙飛行機を折り上げた。
それは一歳の頃、元国務長官が作ってくれて、結局作り方は教えてもらえなかったもの。
(誰か、受け取ってくれっ……)
翌日、この件は当時の災害記録担当官の「ログ」に、
「山火事。翌日鎮火」
と記載されたに留まった。
元大統領の紙飛行機が飛んだかどうかは、どこの「ログ」にも記されていない。